April 07, 2010 22:51
キムタク、ついに力尽く! 37歳の若さで死去!
2日、試合前のシートノック中に突然、くも膜下出血で倒れ、意識不明の重体が続いていたキムタクだが、懸命の治療も及ばず、7日午前3時22分、入院中の広島市内の病院で最後まで意識が戻らぬまま、息を引き取った。1991年に宮崎南高から日本ハムに捕手としてドラフト外で入団したキムタクは1995年に広島へ移籍。打ってはスイッチヒッター、守ってはどこでも守れるユーティリティープレイヤーとして活躍。2006年、ブラウン暗黒政権下において戦力構想外となり、シーズン途中に巨人へ移籍すると、円熟味を増した万能選手ぶりを遺憾なく発揮し、V3に大きく貢献。昨年限りで現役を引退。通算成績は1523試合で打率.262、53本塁打、280打点。今季からは一軍の内野守備走塁コーチとして、第2の野球人生を歩み始めた矢先の悲劇だった。球団は今月23日からの対広島3連戦のいずれかを追悼試合とする意向を発表。巨人ナインは宿舎に設けられた献花台の前で祈りを捧げてから球場入り。練習前にもキムタクの定位置・セカンド周辺で円陣を組んで、冥福を祈り、ユニフォームの袖に喪章をつけて臨んだ。また、この日試合が行われた6球場全てで反旗が掲げられ、試合前に選手達が黙祷した。
人間と言うのはそう簡単には死なない…と思う時もあれば、こんなに簡単に死んでしまうのかと言う時もあるものだ。個人的な話だが、昨年、父を大動脈瘤の破裂で亡くした。30分くらい前まで普通に日常会話をかわしたばかりで、そこにいるのが当たり前だった人が、見る見る血の気が失せて、命の炎を消してしまう。グラウンドで倒れたキムタクの姿は正に、その時の事を痛烈に思い出させるもので、とても心配でならなかった。この5日間、帰宅したら真っ先にキムタクの病状をチェックすると言うのが日課になっていた。「最悪な状況」「悪化の一途を辿っている」と言った経過報告をする清武代表に理不尽な怒りすら覚えてしまったりもした。それでも野球で培った体力・生命力でこの病魔を跳ね返し、死の淵から甦ってきてくれる事を祈り続けていたのだが、残念ながら、その祈りは報われる事はなかった。老体に鞭打ちながら、現場にい続ける事に固執していたノムさんが「グラウンドで死ねたら本望」と言っていた事があったが、本当にグラウンドで死んでしまったキムタクは果たして野球人として本望だったろうか…。まだ37歳の若さ。現役生活は全うしたとは言え、コーチとして第2のプロ野球人生は始まったばかり。やれる事は殆どやり尽くしたとはとても言いきれないだけに、その胸の内が聞けるならば、やはり無念だろう。突出した才能はなくても、プロ野球界で生き残る術を努力で見出し、その姿勢と人柄でファンにも球界関係者にも愛された男がこういう形でこの世を去ってしまうと言うのは実に残念だ。キムタクの生き様を間近で見届けた選手達には、元気に野球が出来る事の幸せを噛みしめながら、逆境にもめげずに野球人生を貫いて欲しいものである。最後にキムタクのご冥福をお祈りします。
キムタクへの追悼コメントは追記にて…(随時、更新していきます)。
巨人・若大将・原辰徳監督
「巨人が弱い時に来てくれて、強い巨人を目指す中で、力となって貢献してくれた。何とか奇跡を起こして欲しいと思っていたが叶わなかった、非常に残念です。立派なコーチになると思っていた。ご冥福をお祈りすると言う事しか出来ない。チームとして悲しみをバネに更に強く前に進んで行きたい」
巨人・阿部慎之助
「振り返ったりする事も受け入れられないと言うか本当なのか?と言うのが正直な所なので、何て答えていいのか分からない。拓さんも分からないうちに倒れて、また明日野球に行くんだと思っていたと思う。僕らは拓さんの気持ちの分までやるしかない。お子さんが3人いらっしゃるので、僕らでカバー出来る事があれば、少しでもサポートしていきたいと思います」
巨人・マッスル千代の富士
「アテネ五輪で一緒に戦い、巨人でも一緒に戦った。今年は自分が一塁を守る事になって、キャンプからずっと色々な事を教えて貰った。まだまだ教えて貰わなきゃいけない事がたくさんあった」
巨人・ガッツ
「気さくで、気持ちを和らげてくれる人でした。どんな事にも全力で向かっていく姿勢は忘れない。しっかりと魂を受け継いで、一緒に戦っていきたい」
巨人・坂本勇人
「19歳の時から色々な事を教わった。よく『エラーをしても下を向くな』と言われた事が強く心に残っている。コーチになって一生懸命ノックをしてくれた」
巨人・内海哲也
「信じられない気持ちで一杯です。堅実な守備で、拓さんが守っていれば、信頼して投げられた。拓さんには助けて貰ってばかりでした」
巨人・大田泰示哲也
「信じられないと言う気持ちです。もっと色々と教わりたかった」
巨人・岡崎郁二軍監督
「彼はフォア・ザ・チーム、自己犠牲の象徴のような存在だった。それをしっかり継承していかなくてはいけない」
巨人・茂雄終身名誉監督
「「五輪ではプレーヤーとしてだけでなく、率先して裏方仕事を手伝う姿勢から、チームに一体感を生んで銅メダルに貢献してくれました。昨年は、突然マスクをかぶったのに、懸命のリードでチームの危機を救った試合が忘れられません。コーチとして、更に活躍される事を楽しみにしていました。本当に残念でなりません」
巨人・滝鼻卓雄オーナー
「木村拓也コーチの訃報を聞いて、私の胸は悲しみで一杯です。誰もが知っている八面六腑の活躍は自らの全てを使って、ファンを魅了する万能選手そのものでした。奇跡は起こらなかったけれでも、キムタクの19年間は、プロ野球も関わる人達の誇りです。永遠に忘れる事は出来ません」
巨人・清武英利球団代表
「巨人がどん底にあった2006年に来てくれて、日本一へと引き上げてくれた立役者。たくさんの記憶を残してくれた。よく頑張ったよと言ってあげたい」
広島・野村謙二郎監督
「今日の朝、連絡を受けた。非常に危険な状態だとは聞いていたけど…、非常に残念。凄く負けず嫌いで、どのポジションもこなしてくれて、それでいて結果を残してくれた。試合に出ない時でも黙々と練習して、チームに足りないものを補ってくれる非常に大切な非常に存在感のある選手だった。広島から巨人に行っても、皆さんご存知の様にキャッチャーもやった。今、僕は監督をやっているけど、これ程、ベンチにいて助けられるプレーヤーはこれから出て来るんだろうかと思うくらいの存在感のある選手だった。最後に話したのは倒れた日だった。『今シーズンも宜しくお願いします』と言ってきて、世間話程度だったが、『(広島にある)家には帰ったのか?』と聞くと『朝一番なんで、まだ帰ってないんですよ』と、『子供が楽しみに待ってるだろ』と、そういう話をした。たくさんの人に可愛がられて、他人に気を遣える選手だった。ファンからも非常に人気があって、愛される選手、人物だった。今回もタクの事だから何とか復活するんじゃないかと信じていた。こういう形になって、非常に残念。彼の闘志、野球を愛する気持ちというものを、今の選手たちが受け継いでグラウンドでプレーするしかない。今日、選手たちにもそう伝えた。野球のユニフォームを着ている全ての人が野球を出来る喜びをもう一度感じながらプレーして欲しい。まだこれからと言う時で、残念と言うか、悔しい」
広島・大野豊ヘッド兼投手コーチ
「現役時代も一緒だったし、アテネ五輪でも一緒だった。情熱があり、チームの雰囲気を作ってくれた。奇跡を信じていたけれど、残念としか言いようがない」
広島・浅井樹打撃コーチ
「巨人に行ってからも頭のどこかで気にかけていた。子供も同じ学校に通っているし…」
広島・東出輝裕
「一緒に二遊間を組んだし、1,2番も打った。巨人に移籍して、(木村さんの)いい当たりを飛びついて捕った時、次の回、地面に『捕るな バカヤロウ』と書いてあって、そういう事が何回かあった。気持ちの強い人で羨ましいと思っていた」
広島・高橋建
「昨年、彼が現役を引退したので、後援会が開いたパーティーに出席させて貰った。今年のオープン戦でも(コーチ業は)どう?って聞いたら『大変ですよ』って言っていた。何でも張り切って必死にやる選手だった。一緒にやってきた仲なので、非常に残念です」
広島・嶋重宣
「2004年に一軍に上がった時、ロッカーが隣だった。倒れた日もグラウンドで話をして『頑張れよ』と言って貰っていた。信じられない。笑顔の拓也さんしか思い浮かばない」
広島・石原慶幸
「ショック。一緒にやって色々な思いがある。入団してから色々と声をかけて戴いて、近くで見てきた。凄く熱い方でした」
広島・松田元オーナー
「捕手、外野手、内野手、スイッチヒッターと、自分が必要とされる場所を探し、挑戦し、それを成し遂げた人でした。苦労した経験を生かし、良いコーチになれると期待していただけに、本当に残念です」
中日・岩瀬仁紀
「早過ぎますよね。毎年、球場では挨拶に行くんですが、今年は(オープン戦では)まだ出来てなかったんですよね。拓さんはあのまんまの人でした。(アテネ五輪でも)チームの為にやれる事は何でもやってくれた」
ヤクルト・宮本慎也
「アテネ五輪では雑用をこなし、ブルペンでは投手の球を受けていた。限られた人数の中で献身的にやってくれていた。情熱があり、性格も明るい。いいコーチになると思っていただけに残念です」
ヤクルト・青木宣親
「同郷の先輩としてオフの県人会では毎年一緒にやらせて貰っていたし、近い存在だった。木村コーチが残してくれた県人会のチャリティーイベント等を僕達後輩で受け継いでいきたい」
ヤクルト・福地寿樹
「カープの2軍で一緒に遅くまで練習したし、プライベートでも大変お世話になった兄貴的な存在だった。本当に言葉にならないくらいショック」
阪神・真弓明信監督
「残念としか言いようがない」
阪神・岡義朗野手チーフコーチ
「何とも言いようがない。(巨人への)トレード前に食事をした事もあった。オープン戦の時も拓也から挨拶に来てくれた。今日は辛い」
阪神・キュラソ星人
「奇跡を信じていたのですが、突然の事でまだ信じられませんし、信じたくありません。ショックです。謹んでお悔やみ申し上げます」
阪神・新井貴浩
「奇跡を信じて祈っていましたが、悲しいばかりで、今は言葉がありません」
阪神・J.マッケンジー
「奇跡と言うか、帰ってきてくれると信じていた。(アテネ五輪の)大舞台で一緒に日の丸を背負った仲間。残念としか言いようがない」
横浜・尾花高夫監督
「悲しいの一言。昨年9月のヤクルト戦でマスクをかぶって0点に抑えた後のホッとしたのと、ちょっと得意気な子供みたいな顔が忘れられない。自己犠牲を厭わない選手だった。ご冥福をお祈りします」
横浜・ハマのチンピラ
「残念で仕方ない。広島、巨人で何回も対戦し、アテネ五輪でも一緒だった。先週に球場で挨拶したばかりで、逆に、気遣ってくれた。非常に残念」
日本ハム・梨田昌孝監督
「残念だし、本当に悔しい。若過ぎる。野球小僧で性格もいい。グラウンドでノックしている最中(の悲劇)と言うのも含めて辛い」
日本ハム・田中幸雄二軍打撃コーチ
「同じ地元出身で、プロに入る前から可愛がっていた後輩だった。県人会でよく顔を合わせていたし、家族ぐるみで仲良し。近々会えたら、と思っていた。現役を終えたばかりで、健康で元気な筈なのに…。とにかくショックです」
日本ハム・稲葉篤紀
「大学のセレクションでも一緒でその時から知り合いです。悲しいし、びっくり。『お前らも体に気を付けろよ』と言うメッセージを残してくれたのかな、と思う。あいつの為にも体を大事にしてしっかりと生きていきたいと思います」
日本ハム・島田利正球団代表
「現役引退後に『巨人でユニフォームを着て勉強する事になったので、またどこかで一緒に(野球を)出来たらいいですね』と言う話をしていた。まさかこんなこ事になるとは…」
日本ハム・山田正雄GM
「凄くいい子で気にかけていました。特別な思いを持って見ていたのので残念」
日本ハム・岩井隆之スカウト
「37歳は若過ぎる」
日本ハム・あの男
「拓さんが巨人に来たのは巨人が強くない時で、苦労した分、余計に一緒に戦ったと言う印象が強い。調子が悪い時は、よくご飯に誘って貰った。ショックですね」
楽天・マーティー・ブラウン監督
「木村さんは野球以前に、人間として真面目で素晴らしい方だった。球界にとっても残念だし、巨人の原監督、チームメートにとっても、とても残念な事だと思う。心よりご冥福をお祈り申し上げます」
楽天・草野大輔
「オフには筋力トレーニングとかランニング方法とはアドバイスして頂いたり、冗談言い合ったりして、良くして戴いた。尊敬する先輩。倒れてから心配で…。拓さんの携帯番号は知ってるけど、誰に連絡すればいいのかなと思ってた。悲しい。悲しいよ。何て言えばいいのかな。今年の交流戦では食事に行こうって話していたのに…」
楽天・小池聡球団広報
「(新人研修会での講演は)いいお話だったんですよ。日本ハムから広島に行った時は、野村さん、求道者・前田さん、緒方さん、キュラソ星人さん等々、黄金期だったので、試合に出られる状況じゃなかったみたいなんです。考えた末、1番先に引退しそうなのが正田さんだったので、二塁を目指す様になった。そうやって考えて生き残るのもプロの道と仰っていました。新人達に長くプロで生き残れと、教えてくれたのに…。残念ですね」
ソフトバンク・王さん
「野球選手とか関係なく一番働き盛りの時に…。原監督も相当期待していたと言う。グラウンドで倒れたのは衝撃的だった。これから、それぞれの球団で健康管理も気を付けていくんじゃないか。とにかくご冥福をお祈りします」
ソフトバンク・小久保裕紀
「ジャイアンツで1年しか一緒にやっていないですが、正にスーパーサブの代名詞的存在でした。すぐに誰とでも解け込める性格でした。ご冥福をお祈りします」
ソフトバンク・和田毅
「倒れたと聞いた時はびっくりしたし、今でも信じられない。アテネ五輪の後、球場で挨拶をしに行くと『元気か』と声を掛けてくれた」
ロッテ・西村徳文監督
「同じ宮崎県出身で毎年オープン戦や交流戦には挨拶に来てくれた。色々と話もした。早過ぎる」
西武・ナベQ監督
「何でも一生懸命やるイメージ。オープン戦で挨拶に来てくれて、長い間ご苦労様、頑張って下さいと話した。志半ばで凄く残念」
西武・オツ
「第二の野球人生が始まったばかりなのに残念。昭和47年会の思い出もあるけど、対戦して良く打たれた。いい打者だった」
西武・雄星
「(新人研修会での)講演の内容は凄く心に残っている。忘れずに一生懸命努力して、あの講演のおかげで活躍出来たと言える様にしたい。木村さんはドラフト外で、あの活躍をした。僕はドラフト1位だけど、活躍出来ない時も、どん底でも頑張りたい」
西武・犬伏稔昌ブルペン捕手
「個性の強い47年会のメンバーを誰がまとめるかと言う話になった時、キムタクの言う事ならみんな聞いたから、会長になった。それだけ人望があって信頼されていた」
偽バファローズ・正田耕三打撃コーチ
「ええ奴だった。現役のときは一緒にノックを受けて怒られていた。生真面目な奴だから、気が張っていた部分もあったんじゃないか。ゆっくり休んでくれ、としか言えない」
偽バファローズ・清川栄治投手コーチ
「オープン戦の時にまだ現役でやれたんじゃないか、と話していたぐらいなのに。若過ぎるよね」
達川光男・元広島監督
「スーパーサブと言う新しい言葉にふさわしい素晴らしい控え選手だった。右投手だろうが左投手だろうが、きっり仕事をした。ナンバーワンにはなれなかったが、特別なオンリーワンの選手だった」
加藤良三コミッショナー
「3月の新人研修会で『うまくいかない時にも決して諦める事なく、自分の可能性を切り開いていく』等の深みのある講話を戴いた。37歳という若さだけに痛切の念に堪えないが、野球界への多大なる貢献を初め、立派な人生だったと思う」
ドジャース・黒田博樹
「今は何も言いようがない。言葉にならない。拓也さんとの思い出はこれから出てくると思う」
エンゼルス・今夜の松井さん
「(スイッチヒッターに内外野をこなすなど)何でもやられて苦労されてきた選手だから若い選手に伝えられる事は多かった筈。ジャイアンツの為に力になろうとしていた所で…。本当に残念です」
雀士・東尾修
「球場の中での今回の様な事は初めてなので、周りのジャイアンツの選手やスタッフの方々が一番悲しいでしょうね。以前、彼はパ・リーグにいた時代もありましたから、彼の人柄も分かっているので…。いい人ほど早くこういう事になってしまって残念です。去年、一昨年とジャイアンツの中でも光っていましたし、良いバイプレーヤーでしたね。本当に残念ですね」
俳優・石田純一
「残念ですね。お子さんも小さくて本人は悔しいんじゃないですかね。この間までプロの選手だったわけですし、強靭な身体をされているはずなのに…残念ですね」
東国原英夫宮崎県知事
「一日も早い回復をお祈りしておりましたが、今朝訃報を知り、言葉もありません。本県出身のプロ野球選手として、子供達を初め、県民に夢と希望を与えて戴きました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます」
宮崎南高校時代の監督・宮国則成氏
「残念です。若いのに…。入学時から走るのも肩も良かった。笑顔で温厚だが、野球に懸ける情熱は凄かった。(1月に宮崎で行ったパレードでの)あの笑顔が最後になってしまいましたね」
宮崎南高校・佐々木逸夫校長
「とても無念。苦境に強い選手だったので、何とか乗り越えてくれると思っていた。生徒は制服の裏にサインして貰い、元気をたくさん貰っていた。今日、千羽鶴と手紙を病院へ送る予定だったが…」
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